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2017年8月13日 (日)

伽藍洞

昔からトンネルが好きだった。

灰のひんやりとした薄暗さ。

橙の偽物のような暖かさ。

緑の牢獄のような縛り。

朝も昼も夜も一定の畏怖の念が僕の中にあって、それがたまらなかった。

何処に行くにしても、トンネルが多いこの街は最高の故郷だ。

トンネルがあるから外に出る。
トンネルがあるからこの街が好き。
トンネルがあるから生きたいと思う。

トンネルは僕の理由だった。

特に夜更けのトンネルはとてつもなく雰囲気があって全身が逆立つんだ。

さらに中に入るとトンネル全体の凄みはまして心地いいんだろうなと想像する。

僕にとって神聖な場所だけれど、ついついマスターベーションを繰り返してしまう。
その背徳感が至極だった。

いつの間にかトンネルは全て僕の縄張りのようになっていた。
そう繰り返すそれも臭い付けだと思えば誰も近寄らないだろう。

特にお気に入りは学校の裏山にある今は使われていない古びたトンネル。
昔は坑道だったと口に伝わっていた。担任の先生がよく生徒にあそこは出るぞって怖がらせていたっけ。

でも、実際使われていたような跡はなく異様なくらい小綺麗だった。

新緑の青に重なる朝露。
漆黒の闇へ誘う幽幽とした内部。
橙色の隙間から覗かせる古びた錆。

趣があって、赴く価値がある。
いつの間にか恍惚と頬が緩んでしまう。
頬だけじゃないけれど。

トンネルの傍では声を殺している。
反響する自分の声なんて毒でしかないからだ。不協和音も甚だしい。

自分の声はそこまで嫌いじゃないけれど、トンネル世界にとって人の声は邪道だった。

一人を除いて。

そう。ずっと昔の、トンネルの中での出来事を話そうか。

僕がトンネルに魅せられるようになって幾月が過ぎた頃。
危ないから夜は出歩くなと母に言われていた僕は昼間にしかトンネルに行くことが出来なかった。もちろん、昼間のトンネルだって宝島を独り占めしているような占有感はあった。外は陽が射してあんなにも明るいのに、トンネル内だけは閉塞的だっていう孤立感も雰囲気も味わえた。けど、夜には夜の顔があってそれが見たかった。知りたかった。空気の変容が気になった。

友達の家に泊まりに行ってくる。
抑えられなくなってそう言って家を出た。本当に行くつもりだったけれど、行く時間帯をずらして時間を作った。
禁忌に触れるような忍び足の所作で踏み出していく。
初めての夜のトンネルはまだ陽が沈んだばかりだったせいもあって外のぬくもりが周りを包んでいた。完璧な夜が欲しいのにとは思ったけれど、どことなく足が引けていた当時は丁度いい状況だった。
数百メートル離れていても感じる異様さ。
これが普通なんだろうけれど、この普通の違和感を違和感と思わず通り過ぎる者は幾人といるのだろう。
きっとおかしいのは僕なんだって分かってはいたけれど、大した関心も示さず昔からあるらしいよあのトンネルその一言で片がついてしまう言葉の伝染と馴染んでいることを無意識に認めている雰囲気に胸糞悪さを感じた。
僕は違う。
このトンネルがあり得ることを肯定しない、突飛として消えてしまうことも予想の範囲にしてしまおう。
僕は周りと違う。
だってこんなにも全身の鳥肌が止まらないのに自分の知らない未知のトンネルを知れることが嬉しくて堪らないのだ。
大好物のグラタンが目の前にあるように唾液が口内で充満し始めて、何度唾を飲み込んだだろうか。
好意を寄せている桜田さんに話しかけられたときと同じ心拍数の上昇。口角が上がろうともがく。
すごくいい。
一瞬自分の口から零れた吐息だと気付かず周囲
を窺ってしまった。

これほどまでに僕はトンネルの虜なのだ。
少しずつ歩めて、もう1メートルもない距離で立ち止まる。犇と感じる。全力で僕を受け付けないと拒む冷めた風。圧迫された闇の深さを恋しいと手を伸ばす。黒の膨張がトンネル外部にも広がってきた。結界が張ってあるのではないかと考えるくらいトンネルは孤立している。
心なし大丈夫だよと反芻するよう呟く。
陽の暖かさが感じられなくなっていく。
黒が黒に塗り重ねられていく。
完璧な夜に近付いていく。
あいつの家へ行く時間はもうとうに過ぎている。

外観だけでこれほどの時間を費やしたしまったことへの後悔はなかった。
むしろ、あいつの家へ行く時間帯をもっと遅くすればよかった。そもそも、その予定を断れば良かったと後悔した。
後で遅れたことを謝っておこう。
夜のトンネルを知ろうとしている僕。
土足で無許可にエゴだけで踏み込む。無機物には有償の心はない。なら、僕の心は無償でこそ対等となる。瞬間、このトンネルは僕のものだという認識に変わった。
服従のような庭のような僕を包囲する感情のない曲芸師。いつまでも僕を飽きさせない。唯一の存在にでもなるのだろうか。
このままこれが永遠であればいいのにとメルヘンチックに願ってみたり。
足の方向はもう前だけを指す。余計な感情の余波を徐に振り払う。
トンネル世界に紛れ込んでしまった一人の主人公として。
さっきからトンネルを見ていたお陰で真っ暗よりは鼠色程度に見えた。
風の音。水が滴る音。熱を帯びるのは僕だけ。
呼吸を詰まらせる。息を吸い込むことも忘れて。目を見開いて、足音を殺して。
不穏を凝縮したのであろうか。ここに光は訪れないだろうと諭す。
どこまで続いているのか。奥まで、行き止まりがあるはずの場所まで行きたい。
もう、大分時間は過ぎてしまっているだろうか。土下座なんて安いもんだ。
だから、少しだけ。もう少し。暗闇を目によく焼き付けて。あと一歩。
来ないで。
心臓が止まるかと思った。殺していた足音も大袈裟に響いた。
全身が動かなくなって、心臓がどこにあるか分からなくなるくらい鼓動がうるさい。
驚いた。ただただ驚いた。
だが、今更幽霊とやらに遭遇しても怖いとは思わなかった。こんな雰囲気なんだ。一人くらいいても不思議じゃない。
どうして。僕は静かに口を開いた。
どうして行っちゃだめなの。
私の居場所に私以外の体温は要らない。
その声は女性のものだった。柔らかく怯えているようでいて、このトンネルの反響と噛み合ったよく通る声。
馴染んでいるではないか。なんだ、このトンネルには先客がいたのか。
今までの高鳴りが一気に興醒めして、それと同時に理不尽な憤りを感じた。
これは僕のトンネルなんだ。もう、僕のものなんだと。僕のだ。僕の。僕のトンネル。
あなたには無理よ。
どうやら声に出ていたようで、暗闇の奥の声が反論した。
知りたいことを知ろうと思わないで、これはだめなの、ずっと私の居場所、ずっと。
苛した。意味不明な上に絶対を押し付けられたから。自然と声も大きくなる。
意味分かんない、僕はトンネルが好きなんだ。大好きだ。知りたいことを知りたいって思って何がいけないの?居場所なんて他で見つけてよ。僕はここがいいんだ。頂戴よ。

なんとも自分勝手なのか横柄で欲張り。抑えきれなかった、道徳心なんてどうでもよかった。欲しい。欲しい。欲しい。脳内で叫ぶ。
足元の水溜まりを騒がしく荒い歩調で飛沫立てる。来ないで、来ないで。狂ったように連呼する声を無視して大股で進み、奥を見据える。
ここまで来ると陽の光が如何に届かないのか身をもって感じる。
目がおかしくなるくらいの闇だった。
来ないでよぉ。
声はいつの間にか震え、歔欷の声となっていた。僕は知りたいこの奥を。もう、そこまで遠くはない。
君が幽霊だろうが誰だか知らないけれど僕は君の言うことを聞かない。僕が欲しいのはこのトンネル。
陶酔しきった僕はさぞ滑稽だっただろう。馬鹿らしく呆れてくれた方がいっそ良かった。
もう、知らない。私の居場所でも、ここは前から貴方のもの。
そこにはもう悲しみもさっきから必死に止めようとしていた気持ちも感じられなかった。
どういう
どういう意味。問いかけようとしたその時、トンネル全体に騒しい音が響いた。
刹那、眩しい光が視界を奪った。僕は咄嗟に目を瞑り、両腕で顔を覆った。
あなたの知りたかったこと、それでよく見るといいよ。

そっと腕を下ろしながら目を開けてみると、懐中電灯が明と足下を照らしていた。

あぁ、何て邪道な灯火だろう。そう思いながらも言われた通り光を前方に向けた。
知りたいことを知ろうと思わないで。
たった数分前のその言葉が重たくのし掛かった。
私ね、幸せならそれでいいかなぁって思ってたの。悪いことも起きないし、トンネルが好きなだけだし。気付いてないならそのままでもいいんじゃないかって、自己満なんだけど、それでもいいかなって思ってるんだよ。
その声は急に子供の女の子の声になった気がする。この異様なトンネルには似合わない純真無垢な声色。僕はこの声を知っていた。だって、大好きな声だから。
桜田さん?
そうだよと照れ臭そうに答える彼女の傍らに僕が知りたかった答えがあった。
理解ができない現実は僕の一生と無関係だと思っていたのに。
もう、帰れないからね。僕に笑いかけるその笑顔が懐中電灯の外縁の光でほの暗く不気味に見えた。
私のこと、好きなのバレバレだったよ。
唐突に放った言葉に僕は動揺する。気にせずに彼女は話続ける。
でもその気持ちに答えることはできないの。分かるでしょ?仮に私も好きだったとしても報われないもの。こんなの不条理にも値しない、そんな概念すらない。だって私はもうこんなにおばあちゃんで、貴方はここにいないじゃないの。ねぇ、荒傘くん。
桜田さんの傍らにあるものから、桜田さん自信に光を移す。
少し眩しそうに顔をしかめる桜田さんは僕の知っている桜田さんという存在ではなかった。
顔は皺だらけで、唇もすぼみ、杖を持つ手は骨張っている。腰をアルマジロみたいに丸めて、今にでも千切れそうな絹の糸のような髪だった。無意識にこれが老婆かと納得してしまうほどに。
あのね、すごく楽しかったんだよ。
ただ、僕の大好きな声はなにも変わらずにそこにあった。

分かるよ。そんなの見たら普通信じられないんだろうけどさ、僕は分かっちゃうみたいなんだ。
そう。それだけ言って桜田さんは顔を伏せた。
ここにいない。僕はここにいる。なのにいない。身体中が疼いている。それは僕だと。呼ばれている。老いぼれた足の傍らの骸骨に。
もう終わりだと。
悟った僕が呆然としているとここはなにに使われていたんだっけ?と問いかけてきた。
ここは坑道。ずっと昔、坑道として使われていたんだ。
億劫に答えると、ふふふと肩を震わせながら笑った。その姿は昔と何ら代わりのない桜田さんとようやく一致した。
本来ここはね、人が我が身を守るために作られた穴なんだよ。荒傘くん、坑道って誰から聞いたの?
え?それは周りのみんなが
そこまで言いかけて口ごもった。正確には言えなかった。言いたくなかった。思い出したから。
知りたいことを知ろうと思わないで。
あぁ、そういうことか。その言葉の意味はこっちが本命なんだろうと即座に察した。
でも、近寄らせなくしたのは誰?彼女は分かっていた。
僕だ。

担任の先生が言っていたこと。
先生の言葉を信じて皆、怖がる。
担任は僕だ。荒傘だ。荒傘先生だ。
実際、坑道と言い初めたのも僕だった。職員室での雑談で工事かなんかしてたんじゃないですか?という適当極まりない言葉が広まり、今となっては有難い結果をもたらしてくれた。当時の僕に感謝をしよう。
現状況においてはそれすらも、もう過去の話だが。
荒傘先生、大好きだったのよ。
話がころころサイコロを転がすように変わる。桜田さんはこんなに話題を引っ張り出す子だったっけ。
困惑しながらも、愛しい声には反応せざるを得ない。
僕も君が好きだ。彼女と思うことは同じであるのに出てきた言葉は無情にもありがとうその一言だけだった。それ以上、言葉を繋げることも訂正し、愛を謳うこともしなかった。
彼女は少し寂しそうにそれでいて凛とした態度で頬を綻ばせた。
仕方ないじゃないか。
仕方がないしか理由が見つからないんだ。
だって僕は死んでるんだから。
死人との永遠の愛を受理されたって道連れに冥土に連れていくようなもんじゃないか。
あぁ、青年のままの僕を醜い少年の心のままの僕をどうして彼女はお婆ちゃんの姿になるまで愛してくれているんだろうか。
あれ、でも
桜田さん、どうしてここにいたの。
毎日来てるわけないし、それにこんなことも初めてで、そもそも僕は念願の夜のトンネルに入って
それが間違いなのよ。
思考が追い付かない僕をよそに彼女は淡と話続ける。この物語の結末を。
まず、私は貴方の性癖を知っていたわ。このトンネルが貴方によって生きているものと同様に扱われていることも。私を好きと思いながらも手を出せなかったのは聖職者の立場からではなく、このトンネル貴方にとってはトンネルという名前の女性ね、その関係が崩れると思ったから。貴方の今のありがとうは愛なんかじゃなくて哀れみ。
ちょ、ちょっと待って。
なんだこれ、桜田さんがまた違う人になった。脳内でまだ遅くないと聞こえる。早く自分のあるべき場所に行こうよと。
荒傘先生。少し張った声で僕の注意を引く。
もう帰れない。それはほんとよ?
凶変とでも言おうか、彼女はいつからこうなんだ。いつからいや、僕が知らないだけでもとから彼女は
そうよ。貴方が貴方のままであるように私は私のまま。見透かされたのかと思うほど的確な呟きだった。
トンネルに魅せられた貴方は胸踊らせながらやっと闇に包まれ始める夕刻に来ることができた。今までこれなかったのはどうして?
夜は危ないって母さんに言われていたからだよ。彼女が彼女とまたもや一致しなくなり苛立ちながら言う。
先生、大人でしょ?生徒に何かあったり、先生同士の付き合いで夜は出るでしょ?でも、出てない。先生、忘れてるみたいだから教えてあげる。夜に出られなかったのは心配性のそのお母さんのせいよ。先生のお母さんは
認知症
欠けたピースが埋まっていく喜びを感じていたのは随分前のように思える。ピースが欠けたままの幸せを羨む。
今度の僕は過去の僕を恨むだろう。
先生はお母さんにとって、小学生のかわいい息子だった。それが何年もそのまま続いて先生は家庭で小学生になりきっていた。だから、夜に自由はなかった。トンネルに行くことさえ出来ずに。
彼女はわざとらしい探偵口調で延と語る。
そんなこと知っている彼女を疑問に思ったが、僕が口を挟んでも止められないだろうから、身を委ねることにした。要は結末を諦めた。
けど、転機が訪れた。なんと先生の数少ない友達が家に泊まりにおいでと言ってくれた。泊まりなら軽く言い訳してお母さんの介護を妹に頼める。早速そうしてもらって家を出た。真っ先に向かったのはこのトンネル。実際、友達なんてどうでもよかった。あとで謝ろうと思ってたんでしょ?そして、トンネルへそれが先生の記憶だよね?
あぁ。生返事しながら、ここまで来ると幽霊に向かって冷静に言葉を紡ぐ彼女とそれをしどろもどろと聞いている幽霊の姿はさぞ奇妙な光景だろうと考えていた。
ふふふとまた笑う。この笑い方を僕は好まないらしい。
記憶って自分の都合よく美化されるんだって知ってる?先生。
また疑問形。相槌を求めていなかったようですぐに口を開く。
直球にいうと、その友達って言うのが私。あの日、泊まりに来てって呼んだのは私。未熟かなって思ってたんだけど、早熟していたみたいで先生を容易く誘えた。先生をあのトンネルに行かせるために私が私を犠牲にして先生を誘導したの。予想通り動いてくれてね、やっぱりここに来たの。でもね、貴方はここに入ってないんだよ。一歩も。外観しか闇を知らない。その先の暗黒を知らない。先生は足を踏み入れるその瞬間に殺されたんだから。
なにをいっているのか意味がわからなかった。
こんな体でも冷や汗は出るものなんだと驚いた。怖い。幽霊より生身の人間の方が恐ろしい。よく昔の人が言い伝えてきた言葉を幽霊の立場になってようやく理解した。
でもさぁ先生、殺される前に殺しちゃ駄目だよ。あんなになるまで。そんなに苦しかったの?
もう僕の知っている大好きな声の桜田さんはいない。お婆ちゃんでもない。そう、この彼女に相応しいのは悪魔。それ以外見当がつかなかった。完全に圧倒されている僕は蚊の鳴くような声でなんのことかわからないと言った。
記憶の改竄甚だしい。もういいや。お母さん殺したでしょ?妹なんて呼んでない。第一、一人っ子の先生に妹なんていないじゃないの。隠し子?そんな馬鹿な。いい加減、小学生の荒傘くんを演じるのは疲れたんだよね。恐ろしく綺麗だった。あんな先生見たことないんだもん。私、ますます虜になっちゃったの。実母をあんなに怨めしい目で刺し続けるなんて常人なんかじゃ理解できないね。
見たこと?桜田さん、その場にいたの?
彼女は僕が知らない僕を知りすぎている。いや、僕の知っている僕でさえも網羅していた。なぜここまでにその疑問もまたもや見透かされたように的確に返ってきた。
だって、私先生のこと大好きだもん。顔も声も臭いも仕草も性的な奇行もなにもかも。好き。先生は私を片想いにさせといて正解だよ。お陰で失望せずに最後まで見届けることができた。
夜のトンネルに入ることが愛情を含めた恐怖だとするならば今ここにいる彼女は純粋さを駒とした戦慄だった。
そうか、君は僕の後ろをいつも歩いていたんだね。
桜田さん呼びをやめたことに気付いたらしく、彼女はあからさま不愉快な顔をした。
こんなことで恨まれたりするのかなと考えながら僕はもう死んでるんだし、もう一回殺されたところで変わりはないだろうと開き直ることにした。
もう一回、殺すのかな?
落ち着いて。そう、僕はどんな僕であれ先生なんだ。
思い出したんだ。なんだ、自白しようとしたのに。
それは自責の念?
いいえ、面白いからよ、先生の多彩な表情が。
君はどこまでも悪だったんだね。僕は誰も殺してない。思い出す前の記憶では妹に頼んだと僕は思い込んでいる。そこにつけこんで、事実は妹はいない。母を殺した。なんて。
つまんないの。
確かに僕に妹はいない。けどね介護を頼んだのは確かだ。そこでまた現れるのが君だ。一人二役、いや、三役、それ以上か一体いくつの平行世界をくっつけて思い通りにすれば気が済むんだい?
彼女の探偵口調と疑問形が移っていた。きっとこれもシナリオどうりかもしれない。
もう、トンネルに縛られるのは共に終わるべきなんだよ。
少し驚いた顔をした彼女は言う。
そんなこと今までの荒傘先生が言うことなんてなかった。なら
また世界を縫合するのか。すべての役割に君が干渉して、僕が多重に重なり複雑化した僕になっていく。君が望んでいるのは一体なんだって言うんだ。
ふふふ。もう笑わないでくれ、その笑い方は本当にいやなんだ。
先生がこの中に入れるのは私のお陰なの。
また唐突に。
本当は入る前に終えた命ならそこまでしか行けないのよ。でもね、私が干渉した分死んだ後になら入れるようになってるの。そして、先生が最初に死んだ命日。その日だけ先生は自分の死んだことも忘れてまたその日を繰り返そうとする。外にいれば生きたまま。中にはいれば死んでいた。ね、そういうこと。
本当に恐ろしい子だと思った。それは善悪全てをひっくるめてのことだった。
愚かしいのは自分で、感情の変化に対応しなきゃよかったと悔やんだ。
桜田さん、君の目的は僕を生かすことだったのか。
ふふふと彼女は笑う。しかし、これは嫌ではなかった。なぜなら、僕の知っている桜田さんだったから。
荒傘先生、いえ、荒傘くん、大好きよ。
泣いていた。ずっと何年も耐えていた涙は年の割には美しく懐中電灯の光だけでも輝かしかった。
彼女はありとあらゆる世界の僕を救おうと翻弄していた。僕が最初に死んだ日。戦時中の雨が止まない曇天だった。隠れ遅れた僕は近くに落ちた爆弾によって殺された。防空壕には桜田さんもいた。それが始まり。
彼女はなんとしても僕を生かそうとした。でも、どんな世界にいってもその日以降の生が存在しなかった。だから、世界を縫い付けて重ねてあり得ることをあり得ないことにし、あり得ないことをあり得ることにした。時には僕の母を殺し、時には友達になり、時には僕を殺し、時には生徒になって。
そこにある摂理に抗えず、彼女だけが歳を取る。この場所だけが風化していく。世界を再開させる度に限界を感じながら。
そうして僕の外堀を固めて命日だけ現れる僕を待った。きっと今日の僕が今までの僕の中で一番生きていたのだろう。
私は荒傘くんが死んでしまったのは仕方がないと思ってるよ。唯ね、あり得た未来を消されたのも、皆と一緒に居られないままなのも嫌なだけ。私がね。だから、せめて昔のままではないここでここまで生きたのだと勘違いして弔えたらなって思ったの。あんま良くないかな。
いいや、僕は嬉しいよ。
本当に嬉しかった。嬉しかった。
分かってるよ、トンネルに魅せられているのは。きっとここだからじゃない。この町はトンネルが多いもん。これもね私が干渉し過ぎている結果。重なりあわせるところを少しでもずれるとこうなの。でも、いいのかな?
最後まで僕のためだった。

どうしようもなく人を愛せなくて、好き以外を求めず同情が愛だと肯定した僕に恋をくれた。
すべての僕を理解し、愛を求めなかった。
僕の骸の傍で彼女は眠った。
僕はまだ完成されていないのに。
助言者がいなくなった継ぎ接ぎの世界線で次の僕は僕にたどり着けるのだろうか。

心のどこかでこの愛しいトンネルと恋しい彼女がいれば大丈夫だとも思っていた。
僕は死にながらも生きている。
彼女たちによって。
僕は長らえている。
このトンネルだらけの街は僕を生かすために繰り返してきた痕跡。
僕がトンネルを理由に出来るのは守られ過ぎた過保護域だとも思った。情けなくなったけど、きっと彼女はこうあることを望んでいるんだろう。
前の僕はこの後どうしたんだろう。
今の僕はこの後どうなるんだろう。
分からない。ただ分かることはこの世界が一部欠けたということ。
それはちょっと嫌だな。
このトンネルをもう一度潜る。
桜田さん。
今度は君を生かすために。
大分長くなりまして、予想してた結末と違うものになっちゃいましたが、なんとか書けたので一段落です!
ちなみに、桜田さんは僕のために生きすぎたのでね、僕は桜田さんの僕のためという大義名分をあり得ない世界にしようと動き出した感じです。
でも、双方死んでしまっているので互いにトンネルを軸に無限ループになっていきます。
という事で、茄子でした

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